ここ数日のあたたかさで近所の梅の花も一斉に咲き、
先日前までの冬の空も一変して青の濃さを変え
春の訪れが近いことをそこかしこに感じます。
小さな靴に包まれた足で少しずつ、おぼつかないけど、
踏みしめるように一歩、また一歩と歩みはじめた我が子。
目の前の平和で穏やかな光景とは裏腹に、
今、世界で起こっていることに胸を締め付けられます。
先日前までの冬の空も一変して青の濃さを変え
春の訪れが近いことをそこかしこに感じます。
小さな靴に包まれた足で少しずつ、おぼつかないけど、
踏みしめるように一歩、また一歩と歩みはじめた我が子。
目の前の平和で穏やかな光景とは裏腹に、
今、世界で起こっていることに胸を締め付けられます。
デンマークで見つけた私の一つの特技はエアガンでした。
少し前まであっけらかんと
こんなことを記事にしていた自分自身に苛立ちを覚えますが、
そんな力は今までも、これからも、
誰にとっても一生発揮されることのない世の中を希求します。
戦地への配備を待ちながら、
銃を抱えて泣く志願兵の若い女性の写真がありました。
彼女は教師だということ。
きっと誰よりも平和について考え、
子供達にその大切さを伝えてきたことでしょう。
誰かにとって心から大切な街が破壊される様子、
誰かにとって心から大切な人たち同士が傷つけ合う様子は、
ただただ悲しすぎます。
日本でのほほんと生きてきた私に、
デンマークのホイスコーレで出会ったヨーロッパの人たちは
過去の戦争の歴史について教えてくれました。
スタディートリップでポーランドのクラクフを訪れた際は、
学校のプログラムにより
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所へ赴きました。
時を経てもなお、伝わる残酷さと人々の無念さ。
言葉を失いました。
常に緊迫したバランスと駆け引きの上に
先人たちが心血を注ぎ、築き上げてきた「平和」というものがあるのだと
愚鈍ながらも理解した瞬間でした。
戦争を過去のものにするために、私たちは学ばないといけない。
フォルケホイスコーレについて発信する意義を今一度考えさせられます。
日本や、世界の子供達が生きる未来が少しでも、
今よりも良いものとなるよう、彼らの未来を守れるよう、
大人である私たちには責任があるのだと肝に命じます。
かけがえのないたくさんの命が、
どうかご無事でありますように。